【Day lott’sは宝くじと似ている??】

宝くじの知られざる歴史とは?

宝くじにわくわくする人は多いですよね。
当選したら、、、とつい、あれこれ想像することもあるでしょう。

人気の売り場の長い行列は名物ですし、宝くじの当選確率を上げるといわれている神社やパワースポットは連日多くの人でにぎわっています。

貨幣という等価価値を基準とする社会に生きる私達にとって、宝くじは豊かな生活へいざなってくれるかもしれない夢へのチケットなんです。

現在の宝くじは、江戸時代に始まった富くじが起源であるといわれています。
どんな時代であっても、”金持ちになりたい”という人類の望みは変わらないものかと思えば、最初の”宝くじ”は意外なことに「金銭」ではなく「運」を得るためのものだったみたいです。

これは現代に生きる私たちは、遠い祖先よりも欲深くなったということなのでしょうか。

現代の宝くじと彼らが熱狂した富くじは何が違ったのでしょうか。
それらを紐解きながら、本当に手に入れるべき「豊かさ」とは一体何なのでしょうか?

宝くじの始まりと歴史

これから、宝くじの歴史について紐解いていきましょう。

「金」よりも「運」に群がった人々

宝くじの発祥は、冒頭でお話したように、江戸時代初期の「富くじ」といわれています。

1624年(寛永元年)頃、摂津国(せっつのくに)(現在の大阪府)の箕面山瀧安寺(みのおさんりゅうあんじ)で、始まったとされている「箕面富(みのおのとみ)」という富くじが一番最初に始まった富くじと言われています。

瀧安寺は、658年に役行者(えんのぎょうじゃ)が七福神で唯一の女神である弁財天を祀った箕面寺を建立したことが始まりで、こちらの弁財天は日本最古といわれています。(諸説あり)
また、弁財天は金運向上のご利益があるということは昔からよく知られています。

「箕面富」とは、正月の元旦から7日までに参詣した人が、自分の名前を書いた有料の木札を唐びつの中に入れる。

最終日の7日に寺の僧がキリで3回突き、3人の“当選者”を選びます。
その3人には福運のお守りである、「大福守」が授けられます。

この「大福守」は健康や商売繁盛のご利益があるとされており、非常に人気だったそうです。
江戸時代後期の観光案内書「摂津名所図会」にもその様子が描かれていることから、それなりの人数であり当選確率だった事がわかります。

『摂津名所図絵』より(引用:龍安寺公式サイト)

ここで注目したいのは、健康や商売繁盛の利益に霊験あらたか(神様のご利益がすぐに現れる。といった意味)
といわれているだけで、現代の宝くじのように「当選したら七億円!」などの直接的な利益につながっていないということです。

確かに当選するためには現代と同様に「運」が必要だったことは推察できますが、それだけのためにそこまでエネルギーを注いだ理由は何なのでしょうか。

お金に価値のない時代があった?

ここで一つ考えておきたいのが、貨幣価値についてです。

日本の貨幣の統一は、江戸時代以降です。
それまでは「和同開珎」などの12種類の金製の貨幣が時代ごとに発行されたり、渡来銭が中国から流通し、区別なく使われていました。

さらに、その大名がその地域だけに流通する「領国貨幣」を発行したりと、貨幣の統一化がされていない時代がありました。

天下統一を果たした徳川家康が貨幣制度を全国統一にするまでは、貨幣にそこまで絶対的な信用はなかったようです。

その反面、よく使用されていたのが米、絹や麻の布名護の物品貨幣です。
戦乱が続いた世の中を考えてみれば、お金は、ルールによってお金のあり方が変わってしまいます
一方、具体的な”モノ”はいつの時代も強いですよね。

江戸時代に入ってからも、年貢=税金は原則、米で納められていた。その後だんだんと金納化してはいくが、金よりもモノの方が信用できる、という時代が確かに長く存在していたわけだ。

農耕型の日本で人々が熱望したもの

黄大仙廟(ワンタイシン)という香港No.1のパワースポットと呼ばれる有名なお寺があります。
黄大仙廟のおみくじは当たるとして有名ですが、内容といえば、例えばこんな感じです。

「病気からの回復は早まります。 絹(カイコ)の飼育は成功するでしょう。 旅行者は帰ってきます。 結婚の契約に有利です。 息子は妊娠中に生まれます。 明るい見通しがあります。 ほとんどの計画と願望は祝福されます。 名声と富が望みどおりにやってくるでしょう。 家畜の繁殖は成功します。」

古代中国語を意訳しているのでおかしな文法になっていますが、お許しください。

この文の面白いところは、豊かさにつながるものが家畜、絹、妊娠(男児が生まれる)だったりすることです。

確かに農業中心であれば、気になるのは天候であり、作物の出来や収穫高、家畜の繁殖、人手という意味で男児は貴重です。

豊かさは、銀行残高ではなく実りや取引から得られるものだったのです。

日本の神仏は中国からの文化が融合したものであることは皆さんもご存知だと思います。

似たような発想があったとしてもおかしくないですよね。
そう考えれば中世日本において、金銭よりも”幸運”つまり運が重要という価値観もあったというのもわかるような気がします。

江戸時代の億万長者

その後商業の発展に伴い、人々は豊かさを「金銭」に求めるようになります。

「金」よりも「運」に群がった人々でご説明した、瀧安寺発祥の「箕面富」はその後、近世に高額な金銭が当たる「富突き」として町中に広がり、江戸に伝わります。
そして財政が悪化していた幕府は、これを寺社の修復費用調達に限り許可しました。

これが、幕府公認の「御免富(ごめんとみ)」となり、江戸、京都、大坂の一部の寺社で行われるようになりました。

御免富を行う寺社は、販売から当選金の受け渡しまで全てを行い、寺社奉行所に届け出ていました。
また、幕府は当選金の上限を300両に定めていたという記録がありますが、客を集めるために1000両などのより高額な金銭が設定された富くじもあったといいます。
1000両を現在の貨幣価値に換算してみると、1両がだいたい8〜13万程度(諸説あり)なので、8000万円〜1億3000万円となります。

江戸時代でも宝くじに当選すれば億万長者になれたということですね。

ちなみに、金持ちとして有名な紀伊國屋文左衛門だが、彼の資産は50万両といわれており、これは現代の貨幣価値にすると約500億円に相当します。千両を得たとしても、いつの時代にも上には上がいるようですね。

宝くじとは

ここで現代の宝くじについておさらいしてみましょう。

宝くじとは、日本においては「当せん金付証票法」に基づき発行されるくじのことを指しています。
この「当せん金付証票法」とは、昭和23年に施行されたいわゆる宝くじに関わる法律のことです。

宝くじを発売できるのは、その中に定められている全国都道府県と20指定都市、つまり地方自治体のみ。これらの自治体が、総務大臣の許可を得て宝くじを発売するといった構図になっているわけです。

あれ?
銀行が売っていたりするじゃないか!、と思った人もいるかもしれません。
これは、地方自治体が宝くじの発売元として発売計画と共に発売事務等を銀行等にまとめて委託しているからです。

受託した銀行等は、その発売計画に沿って宝くじ券の図柄選定から印刷、売り場への配送、広報宣伝、抽せん作業や当せん番号の発表、当選者への当せん金の支払いまですべて行います。

つまり宝くじにおいては、銀行は請負業者なのです。

宝くじに当選する仕組み

宝くじにはそれぞれ、「ユニット」「組」そして「番号」が設定されています。
番号が当選につながることはなんとなくイメージできていても、これらがそれぞれどういう仕組みになっているのか、意外とあやふやな人も多いと思います。

まず、宝くじは、「100000番」から「199999番」までの10万枚を1組としており、これを「ユニット」と呼びます。
さらに組の数によって1ユニットの枚数が決まることになっています。
このユニットの中でさらに当たりの数がそれぞれ決められており、一等はユニットごとに1本と決められているので、例えば一等12本という宝くじであれば、その宝くじは12ユニット販売される予定である、ということになります。

人気の売り場が生まれるカラクリ?

つまり1ユニットを売り切れば1枚は必ず1等が出るということになりますよね。

余談ですが、毎回1等が出るという人気の売り場が全国各地に存在するが、1ユニットを売り切るほどの売り場ならそこでは1等が出やすいということになります。

宝くじにはどんな人が当たりやすいのか

宝くじにはどんな人が当たりやすいのか気になる人もいるでしょう。

令和2年度の「宝くじ長者白書」には、性別や年代や購入歴だけでなく、仕事などで分類したデータが掲載されています。

見ているだけでも面白いですが、もしこれに近い要素が多かったら、あなたも億万長者の近道にいるのかもしれません!!

最終的には運頼み??

上記データからは、購入歴が10年以上の方が高い当選率のようなので、やはり”継続は力”なり、なのかもしれなません。
その反面、初めての購入で当選するという”ビギナーズラック”も少なからず存在するのも事実です。やはり最終的には運ということなのでしょうか。

動くことで「運」が手に入る

いつの時代にも庶民が運や豊かさを求める気持ちは絶えることなく存在します。

上方落語の「高津の富」は富くじを題材にしたものですし、「東海道中膝栗毛」には、2人が天神橋の近くで拾った富札にまつわる話があります。

計画的偶発性理論という言葉を聞いたことがありますか?
これは、スタンフォード大学のクランボルツ教授によって1999年に発表されたキャリア理論です。
なんでも、成功した人のキャリアを調査すると、そのターニングポイントの8割が本人の予想しない偶然の出来事によるものだそうです。

そこから、彼は「何をしたいかという目的意識に固執すると、目の前に訪れた想定外のチャンスを見逃しかねない」と指摘しています。
「何かが起きるのを待つのではなく、その出会いが訪れやすいように意図的に行動することでチャンスが増える」と述べています。
「運も実力のうち」といいますが、行動できる人間が偶然の運=チャンスを得やすいと言っているということです。

宝くじも買わなければ当たらない。そう考えれば同じように、まずは「やってみる」という行動が運を呼び寄せることは確かに納得できます。
待っていては「運」とは出会えないし、箕面富に群がった人々も、長い列に並ぶ私たちと同様に、それをどこかで知っていたのかもしれません。

瀧安寺公式サイト(https://www.ryuanji.org/